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要旨:宗教は人間生活において多大な役割を果たしている。ある民族、或いはある地域の住民にとっては、なくてはならぬ存在とでも言える。さて、宗教存在の意味は何だろう。ここで、簡単に分析してみたい。
キーワード:宗教;意味;本質;トーテムニズム
一、宗教の存在する意味
宗教は宗教として成り立つために、まずある数の人間がいる。彼らは信者と呼ばれて、宗教に信仰を表すために、儀式と儀典とを行う。みんな同じ目的で集まって、同じ活動を行っているから共同の感情を抱いているに違いないであろう。こうすれば、個人にとっては依頼できる強い感情の盾ができて、何かあった時に心細くはないであろう。
宗教はまた信者に何をすべきか、何をすべきではないかを決めたのではないか。これは宗教のタブーであり、また一種の道徳でもあろう。仏教ならば生き物を殺さずなど、キリスト教ならば女性を尊重すべき?犯罪悪など、中国の道教ならば静かに心を鍛えるすべきなどというようなほとんどの宗教は集団内の親睦、ないし社会の安定にも積極的なお働きをしているではなかろうか。これは経済的発達の日本が理性人間としての特質を欠いている原因の一つになっていると言ってもよいであろう。
二、宗教の本質
原始人がトーテムに対して、もっとも崇拝しているのはなぜであろうか。デュルケームによれば、トーテムが集団を代表しているから原始人は無意識の内にそれを崇拝しているそうだが、実は彼らのいる集団に対して敬意を払っているのではないかということになる。集団は集団としての力、しかも非常に強い力を持っている。そういう力は集団内の人々のお互いの絡み合いから出るもので、いわゆる世論である。世論は一番怖いものであることはみんな知っているであろう。誰も集団又は道徳統一体の規則を無視して好き勝手にしてはいけない。その規則は原始人のタブーに当たるものである。そういう集団力を原始人は知らないけれど、トーテムを崇拝しなければならないことを意識している。トーテムの力が彼らに精神的に感じられるのである。しかし、説明できないから、その力を一種の神秘的な力として見なす。今の人たちにして見れば、原始人たちも世論の力を感じているのだと言えよう。子供の出産も説明できないからそういう神秘的な力が女のお腹に入って新しい生命ができるのではないかと思われる。自然現象もわかるはずはないから、それも神秘的な力に制御されているであろうと思うのに違いないであろう。原始人たちは自分が従わなければならないそういう力を世界の元として思っている。最初は非人格的ではあったが、だんだんと夢の現象、子供生まれなどと結合してそういう力に人格的特質を付け加えたのである。その中に、祖先という概念もあるし、英雄とか神秘人物とかいう概念もある。神話はここから出た。
原始人は特別な力を持っている祖先か英雄か、とにかく神話人物から保護してもらうために、定期的に儀式?儀典を行って崇拝する。現代人はそれが効果のないことを知っているけれど、原始人にして見ればそれは非常に効いた崇拝であるに違いない。言えば、定期的な集会は集団感情を増やし、個人が集団の一人前としての地位或いはみんなの統一性を固めるに役に立つのである。今でも、仲間関係を固めるために、時々食事に行っているのではなかろうか。
ここまできたら、何かわかってきたであろう。いわゆる宗教は最初の人間集団が出来た際に人間関係を調整するために無意識に作られたもので、人間生存の需要を満たす道具の一つにすぎないと考えてよい。人間がこの地球に存在していくために社会を作ったと同じように、宗教もそういう役割を果たしていると言えよう。宗教と呼ばれている原因は世界に対する解釈が社会の科学が同じ世界への解釈と違うことにあると思う。むしろ科学がまだこの世界のいろんな問題を解決していないからこそ、宗教に生存するスペースを与えたのであろう。
三、終りに
発達の遅れる民族ほど宗教がその力を振舞うというが、実は集団の力に頼る度合いが高いからである。宗教の意味や本質なんかどうでもいい、従うことによって、集団に属し、命を捧げることを無意識的に表しているのである。こういう意味から、宗教は集団意志の集中的表現になると思ってよかろう。
参考文献:
[1] 涂尔干.宗教生活的基本形式[M]. 渠 东,汲 喆译. 上海:上海人民出版社,1999.
[2] 教派神道的历史的性格『岩波讲座日本历史』[M].东京:岩波书店,1962.
キーワード:宗教;意味;本質;トーテムニズム
一、宗教の存在する意味
宗教は宗教として成り立つために、まずある数の人間がいる。彼らは信者と呼ばれて、宗教に信仰を表すために、儀式と儀典とを行う。みんな同じ目的で集まって、同じ活動を行っているから共同の感情を抱いているに違いないであろう。こうすれば、個人にとっては依頼できる強い感情の盾ができて、何かあった時に心細くはないであろう。
宗教はまた信者に何をすべきか、何をすべきではないかを決めたのではないか。これは宗教のタブーであり、また一種の道徳でもあろう。仏教ならば生き物を殺さずなど、キリスト教ならば女性を尊重すべき?犯罪悪など、中国の道教ならば静かに心を鍛えるすべきなどというようなほとんどの宗教は集団内の親睦、ないし社会の安定にも積極的なお働きをしているではなかろうか。これは経済的発達の日本が理性人間としての特質を欠いている原因の一つになっていると言ってもよいであろう。
二、宗教の本質
原始人がトーテムに対して、もっとも崇拝しているのはなぜであろうか。デュルケームによれば、トーテムが集団を代表しているから原始人は無意識の内にそれを崇拝しているそうだが、実は彼らのいる集団に対して敬意を払っているのではないかということになる。集団は集団としての力、しかも非常に強い力を持っている。そういう力は集団内の人々のお互いの絡み合いから出るもので、いわゆる世論である。世論は一番怖いものであることはみんな知っているであろう。誰も集団又は道徳統一体の規則を無視して好き勝手にしてはいけない。その規則は原始人のタブーに当たるものである。そういう集団力を原始人は知らないけれど、トーテムを崇拝しなければならないことを意識している。トーテムの力が彼らに精神的に感じられるのである。しかし、説明できないから、その力を一種の神秘的な力として見なす。今の人たちにして見れば、原始人たちも世論の力を感じているのだと言えよう。子供の出産も説明できないからそういう神秘的な力が女のお腹に入って新しい生命ができるのではないかと思われる。自然現象もわかるはずはないから、それも神秘的な力に制御されているであろうと思うのに違いないであろう。原始人たちは自分が従わなければならないそういう力を世界の元として思っている。最初は非人格的ではあったが、だんだんと夢の現象、子供生まれなどと結合してそういう力に人格的特質を付け加えたのである。その中に、祖先という概念もあるし、英雄とか神秘人物とかいう概念もある。神話はここから出た。
原始人は特別な力を持っている祖先か英雄か、とにかく神話人物から保護してもらうために、定期的に儀式?儀典を行って崇拝する。現代人はそれが効果のないことを知っているけれど、原始人にして見ればそれは非常に効いた崇拝であるに違いない。言えば、定期的な集会は集団感情を増やし、個人が集団の一人前としての地位或いはみんなの統一性を固めるに役に立つのである。今でも、仲間関係を固めるために、時々食事に行っているのではなかろうか。
ここまできたら、何かわかってきたであろう。いわゆる宗教は最初の人間集団が出来た際に人間関係を調整するために無意識に作られたもので、人間生存の需要を満たす道具の一つにすぎないと考えてよい。人間がこの地球に存在していくために社会を作ったと同じように、宗教もそういう役割を果たしていると言えよう。宗教と呼ばれている原因は世界に対する解釈が社会の科学が同じ世界への解釈と違うことにあると思う。むしろ科学がまだこの世界のいろんな問題を解決していないからこそ、宗教に生存するスペースを与えたのであろう。
三、終りに
発達の遅れる民族ほど宗教がその力を振舞うというが、実は集団の力に頼る度合いが高いからである。宗教の意味や本質なんかどうでもいい、従うことによって、集団に属し、命を捧げることを無意識的に表しているのである。こういう意味から、宗教は集団意志の集中的表現になると思ってよかろう。
参考文献:
[1] 涂尔干.宗教生活的基本形式[M]. 渠 东,汲 喆译. 上海:上海人民出版社,1999.
[2] 教派神道的历史的性格『岩波讲座日本历史』[M].东京:岩波书店,1962.